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Like a stone, Like a mirror
これを書く一週間前ほどに作品が描けなくて苦しんだ。描けないのではない、作れないのだ。
うまくいかない時は散歩をする。一時間二時間と歩く。途中で近くのコンビニの喫煙ポットで
人の往来を見る。考える。何がいけないのか。
絵を描くにはスタイルがある。言語のように、言いたいこともあえぎ声では伝わらない。
そのために文法がある。文法を度外視すればまたあえぎ声に逆戻りする。
だが絵となるとそれは難しくなる。フィクションであり、矛盾した、夢のなかでしか整合性のないような、言語化できない種類のものを表そうとするのだから。
歩いているとどこからかLike a stone, Like a mirror と文字が出た。
論理的思考より先に言葉が出てくることがある。(もちろん全然関係ないことが大半だが)
その時は最近まで描いていたテーマとリンクしていた。私のなかでつっかえていた物事だった。
「なぜ顔を描くのか」
なぜ描くのかを、話せなくはない。だが、その核心のようなものが見えなかった。
嘘のように思えた。取り繕ったことしかしない作家と自分は同じでは?と自問していた。
なぜ首から下を描かないのか、なぜ私は人を怖がらせるような絵になってしまうのか。
ユングの自伝を過去に読んだことを思い出した。5年以上前のことだったが、
ユングが石について、幼少期の回想をしていたことを思い出した。
それはこうだった。
「私はこの石の上に座っている。そして石は私の下にある。」
けれども石もまた「私だ」といい得、次のように考えることもできた。
「私はここでこの坂に横たわり、彼は私の上に座っている。」
-ユング自伝1 河合隼雄他訳から引用
私は何年か越しにこのことについて考えた。
石に内在するものと、鏡に内在するもの。
石についての認識と美術史的な鏡(または水面)について。
石の堆積が意味すること、もしくは永遠性。
鏡、ナルキッソスとコクトーの詩人の血について。
うつすものは虚構であるが、そこに真実があること。根源的な芸術の始まり。
また別のことも浮かんだ。
荒木経惟の「センチメンタルの旅」の中での、妻を撮影した写真だ。
あの中には写真家の妻との蜜月という潜在的認識が孕んでいるが、それでもそれそのものとして在った。
「それそのものとして在る」こと。石をメタ視線で捉えるのではなく、石をそれそのものとして、存在として在ることとセンチメンタルな旅が持つ虚構。
私の描く顔は「顔」ではなく、頭部なのだ。
人物や表情や生活ではない。私の本然は生が持ち得る一環そのものを表現することである。
絵の文法的にはやはり頭部の形状を描くことであるが、そこに付随する抽象は、
言語化できない複雑な知覚と呼べるかもしれない。
額装込み
2023
H333mm×W242mm (F4)
acrylic,ink,watercolor paper
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